書評 Man of Contradiction
前のエントリから少し空いたが、気にしない。
今回はPPKMの開けたジャカルタの紀伊国屋でみつけて手にとった本を書評してみようと思う。
こいつを手にとったのは、Penguin Readersっぽい薄めの本だったから。あとは、仕事でインドネシアの政治経済を追いかける中で、「掴みどころがない」「奥が深い」という疑問があり、これを解消するための鍵を模索している、というのがあったから。
結論から言うと、やはりよくわからなかった。
ジャーナリストが長くJokowiを取材する中で書いた本で、現職の大統領を強く批判することもできないのだろうから、大統領に就任するまでのシンデレラ・ストーリーは結構バラ色に書いてあって、「なんだ、自叙伝と変わらんじゃないか」と思ったのだけど、大統領就任以降の国策の中で揺れ動くJokowiに対しては意外と批判的(特にコロナについては酷評)みたいなところもあって、ちょっと驚いた。
本書にもある通り、ウォッチャーからしてもインドネシアは「単純化」しすぎることによって読み間違えてしまう。とにかく、一言で語れない国なのだろうと思う。貧・富、世俗・保守、華僑・プリブミ、ジャワ・ジャワ以外、イスラム・非イスラムとたくさんの2項対立が同時に存在し、複雑系をなしている。これらの対立の中でJokowiはうまく渡り歩いているが、その中で生じる「理念的矛盾」がウォッチャーを混乱させる。著者いわく、Jokowiには政治哲学がない。読んでいてやはり思ったのが、メガワティやプラボウォのようなバックボーンのないJokowiは、生き残ることでしか生きる道がない、と考えているのでは、ということ。生き残るために盟友Ahokを切り捨てたりと、プラグマティックに行動することが、かえって政治的な対立を抑え、長期政権という安定を手にしているのではないだろうか。当方、どうしても経済的な見方をしがちで、こういう経済的インセンティブによる行動決定を考えてしまうのだけれど、それだけで考えるも危険なんだろう。Jokowiがメガワティと微妙な距離感にあることは知られていて、本来メガワティとは蜜月関係を築くべきなので、こういった点が行動予測を難しくするのだろうと思う。
スタッフと話していても、「選挙にマニフェストはない、人気投票」と言っていて、政党間の合従連衡も激しく、インドネシアは政治局面を読み取るのが難しい。日本や欧米の政治学者がこういった国の民主主義をどう評価するのかが気になるところ。最後にも述べられていたけど、タイやミャンマーの民主主義も時々躓くわけで、できて50年そこらの国ではまだまだ民主主義は未熟なのだろうし、やはり主権を持つ国民が「主権」の意味をきちんと捉えられるようにならないと民主主義は機能しないのかもな、と思った次第。
薄めの本ということで、深堀りが足りないなと感じたのが正直なところ。権力を手にするまでの行動・経歴に真実がある、とするのはとてもいいアイデアだと思うのだけど、アチェの国営企業で働いていたころとか、ガジャマダ大の学生の頃の動きとか、家具屋さん経営しているときのこととか、もっと深堀りしてほしかった。要は、Jokowiの経歴はソロ市長になった際の行動が評価されているわけで、地に足をつけて市内の貧困等の問題を一つ一つ解決していったという、実務家的な側面が評価され、ジャカルタ知事、そして大統領に上り詰めていったもの。そこで疑問となるのが、「なぜJokowiは、他の腐敗した政治家と異なり、実務的な問題解決ができたのか、なぜそうしようと思ったのか」「そもそもなぜ市長に立候補したのか」というのが問いになる。それまでの企業での勤務経験が影響しているのだろうけれど、それが触れられていないのが残念。このあたりは、歴史による更なる分析を待つのだろう。