遣唐使の加拉巴(Jakarta)漂流記

と或る日系企業の管理畑で働いている田舎者が、遣唐使として中国に派遣された後、今度は東南アジア・インドネシアに派遣されたお話です。日々気づいたことをレポートします。内容については十分確認をとっていますが、あくまで筆者の主観によるものであり、また、正確さについて担保するものでないことは十分ご承知おきください。

ジャカルタのインターナショナルスクール

無事家族が赴任してきており、逆に慌ただしい生活になっている。嫁も馴染めず、娘も英語を喋れず、前途多難しかないのだが、ここ数年で得た「乗り越えられない困難は、認識できないので、その身に訪れない」という、訳の分からない自信というか確信によって、なんとかなると思って生きています。

こと娘についてであるが、せっかく7歳というキリの良い年代で海外生活のチャンスを得たので、日本人学校ではなく、インターナショナルスクールに入れようと思っている。

初めは、日本人学校のつもりだったのだけど、まぁ嫁もそれなりに乗り気だし、せいぜい数年だから大丈夫かな、と思って方針を決めた次第。

最終的に、ジャカルタでおそらく最も有名なJakarta Intercultural Schoolに決めたわけだが、この決定の中で苦労した点、重視した点をきちんと残しておくことで、将来色々な局面で悩んだ際に、指針とできるようにしておきたい。

 

・苦労した点

1. とにかく情報がない

ジャカルタTwitterコミュニティでも、「インターの情報教えて!」という新米ママさんのおとぼけコメントに対し、非常に辛辣な「自分で調べろボケカス」といったコメントが飛び交う世知辛い世の中なので、ネット情報がほとんど当てにならない。学校側情報は非対称な情報だし、多くの場合生存者バイアスのような情報がしか流れていない。日本人でインター校に通う人も多くない。そもそもニッチすぎるマーケットなわけである。と思って、英語資料とかを探そうとしてもこちらも大したものがない。医療機関と同じで、そもそも「客観的な情報」というのがないのだろうな、ということは、MBA受験時にもあったので、まぁそういうもんかな、とは思いながらも、それでは主観的な情報だったらどうか、と思っても、それすらもあまりない。とにかく周りでインターに通っている人がいない(これも、日頃の人脈形成不足が祟ったことなのでしょうけど…)から、N=1のコメントすら取れない。一緒に子供のインター活やっていた同僚のコメントがかなり大きな影響を与えるという、精神的にも意思決定の正確性的にも、かなり問題のある状況だった。

 

2. 学校側の情報提供が雑。

情報が取れなかったのは、コロナ禍であったことも小さくない。MBAも同じだが、とにかく自分の足で情報を取りに行くしかない状況なので、兎に角会いに行ってみる・キャンパスを見に行ってみることが大事だったのだけれど、教育機関は規制当局からもかなり目をつけられていたようで、多少コロナが収まったくらいでは、全くオンキャンパスの見学会が再開されない。かなり収まってきた、と思ったら、レバラン休暇とかに入るわけですよ…。じゃあオンラインの説明会で有益な情報が取れるか、というと、基本的に彼らは「分からないことがあったら質問してください」というスタンスなので、とにかく聞くしかない。かなり色々頑張ってきくのだけれど、当方の英語力も相まって、なかなか気の利いた回答が得られない。特に、JISは、お金関連の回答は要領を得ないものが多かった印象がある。そのため、「もうわからん、実際に行ってみるまで決められへん」となるのである。特に妻は、当地のイメージ感すら抱けていない状態なので、オンラインとか全く効果がなかったと思う。

 

3. 日本人がいるのかわからない

インターの良さは、ネイティブやらローカルやら、多様な人種・国籍の友達ができ、その環境の中で揉まれることにあるのだけれど、やっぱりエントリーとしては日本人は必須だと思っていた。娘は3月末に赴任してきたばかりで、英語はほとんど話せないし、シャイという性格も合わさって、現インター系幼稚園でも、何も話しておらず、日本人の先輩(歳は下だけどw)から色々教えてもらっているらしい。それはそれでしょうがないことで、逆に、昔インター(英国現地校)に通っていた会社先輩に言わせると、そこでの絆とかできるらしいから、ある程度日本人のいるところがいいな、と思っていた。会社補助がそれなりに出ることもあって、最大手のJIS、BSJクラスであれば、10%は行かないまでも、そこそこ日本人いるだろうとは思っていたのだけれど、これだけはめぐり合わせなので、全く読めない。Twitterとかマンションのグループラインとかに「JIS通ってます」みたいなコメントないか、かなり探したものです…。

 

4. ぶっちゃけ違いがよくわからない

日本の公立校を練り歩いてきた我々両親にとって、インターはすべからく素晴らしいものだった。設備はきれいだし、iPadとか授業で使うし(これは今どき公立でもやったりするのだろうけど)、どれをとっても問題ないように見えた。結局4つ見学に行ったのだけれど、終盤になってようやく、学校側の見学に対する姿勢、授業の内容の違いとかが見て取れるようになってきた(こちらにも余裕が出てきたのかもしれない)。小学校低学年なので、勉強面ではそもそもあまり難しいこととかないのだけれど、

・算数の内容(シンガポールカリキュラムは結構ゴリゴリやらせる印象)

・選択科目の内容(音楽とか工作とか顕著。あとは機材が有料かどうかなど)

・英語補助の内容(どこも結構突き放す系ではあったけど笑)

・先生・学校側の寄り添う姿勢

あたりは何となく違うな、とわかるようになってきた。こういった第一印象は、就活時もあまり外れたことがなかったので、おそらく入学後もそう感じるんだろうと思う。

 

・重視した点

上記のような苦労をかれこれ半年(家族の渡航を決めてから延々と、もんもんと悩んでいた。実際に激しく動いたのは、家族が渡航してきてからの2ヶ月程度)経験し、最終的にJISに決定したのは、下記のような理由からだった。

1. 近い

ぶっちゃけた話、これが一番大きい。当方が、家とオフィスとの往復を毎日2時間近く行い、結構ヘトヘトなので、家族にこのような苦労をさせたくない、というのが重要な点。娘もまだ英語環境に慣れていないし、バス通学になったら、それこそトイレも行けない、ということになるだろう。では、送迎をするとなると、BSJに毎日妻が2往復するというのは、やはり現実的ではない。女の子だし、なんとなく、バスは危険な感じもするというのが、BSJを落選させた主要因だった。後述の通り、最後に見学したBSJはかなり惹かれたが、このあたりで落選となった。

 

2. ミーハー気質

家族の手前中々表立って言えないけれど、ジャカルタで最も有名な学校で、多くの人が「金があるならJIS」と言うこともあって、ぜひ通わせてみたい、と思った。知り合いの日系2世(子供がNYU学部生である教育お父さん)も、やっぱり同じことを言っていた。当方の家庭の教育方針として、常に実利を取るというのはあるのだけれど、こんなチャンスはなかなかない、という気持ちが強く背中を押したのは事実である。

 

3. 日本人がそこそこいそう

大きくて有名なので、日本人もそれなりにいるだろう、と思ったことも重要なポイントである。上記の通り、日本人がいる、ということはかなり重要な加点要素だったので、JISのお隣に新たにできたIndependent School of Jakarta(ISJ)は、設備もきれいで、少人数のきめ細やかな対応が期待できたが、日本人の友だちができないかもしれない、というのが大きな気がかりとなった点であった。

 

4. あまり過保護なサポートはなさそう

これは多くの人と逆のポイントなのだけれど、あまり手取り足取りなのもどうか、と常に思っていた。一人っ子であることもあって、何でも好きなものが与えられてきた娘は、なにかにこだわるとか、偏愛するということがあまり見られない気がする(男親である当方の記憶と、女の子の違いなのかもしれないけれど)。色々な経験をできている方が、確かに幅は広がるのだけれど、なにかに強い好奇心があって、それに向けられて培った集中力、粘り強さ、自尊心のようなものが、その後の勉強や運動やらの礎となるような気がしていて、小学校低学年の間は、むしろそういった情操教育的なことを中心にしていくべきなのでは、と最近考えたりしている。オイスカ幼稚園の教育方針がまさにそれで、好きなことならとことんやってていい、という、こだわりと自己愛を大事にするというのは、コミュニケーション偏重で、それでいて歪んだ世の中を生きていくのにとても大切なことなのでは、と同幼稚園を見学してとても感じたことだった。例えば、BSJなんかは、音楽の個別レッスンやら、演劇の授業やら、通常カリキュラムの中にいたれりつくせりで盛り込んであるが、それだと今の娘の状態と同じで、もう少しショックを与えるようなことをしてもいいのでは、積極性を身に着けさせたいというのがインターに通わせることの一つの大きな目的であったという点から考えて、より積極性が身につくのは、実はJISなのでは、と考えた。

 

以上の通り、悩みに悩んで、そして泣きながら高額な学費を払い、JISに娘を送り込むのです。ぶっちゃけ英語とかグローバルとかどうでもいいから「『普通』とかが一切ない環境で、自分の好きなものを見つけ、自分がやりたいと主張する力を身につける」というのが、娘にできてほしいことなのです。自分にないものを子供に求める、というのは、いつの時代も親の悪い性なのだろうなぁ。

 

訪問調査というもの

与信管理という仕事柄、よく訪問調査にいく。職責上、求められていることでもあるし、会社でずっと座って仕事しているのがあまり性に合わないのもある。

今回の訪問調査は、プラスチックのコンバーター屋2社で、ともにナイロンフィルムや合成樹脂を購入して、洗剤・食品のパウチを製造し、メーカーに販売する会社である。

当地は、土地・建物・設備の資産価値が日本の半分以下で、かなりアセットライトに見えるのだが、訪問してみると、え、結構でかいじゃん、という工場が結構多い。そういうわけで、実際に見て、会社としてきちんとしているのか、信頼に足るのかをチェックすることはかなり大事だと思っている。


1社目は、創業10年くらいの、小規模業社で、日系企業で働いていた現地技術者が定年後に作った会社らしい。社長は、創業者の知人の息子で、40歳ごろと若いし、まだ青い(良くも悪くも、中小企業の二代目若社長、という印象)。かなりの小規模企業であり、普通なら与信はしないところだが、日系企業からの技術支援サポートを受けており、なかなかにご綺麗にしている。当該企業からの側面情報も必要だが、Secureされているので良し、という感じ。


もう1社は、設立20年、創業者が以前経営している、日本でいうところの中規模企業である。ただ、この創業者がかなりのやり手で、アジア通貨危機で国中が打たれているときに逆張りで事業を開始するなど、商魂逞しい華僑である。御歳70は超えているが、面談に際し、かなりのプレッシャーを感じ、これまで行ってきた訪問調査で、最もたじろぐ結果になってしまった(実際に、言いたかったけど聞けなかった質問もある。部下の手前、反省すべきポイントである)。工場の中身はコロナの規制等もありあまり見学できなかったけれど、オフィスや敷地内の整頓状況からするに、オペレーションは全く問題ないだろうと思う。


個社に関するコメントはさておき、全般的なことで今回気づいたことは2点。

①ビジネスモデルは同じでも、会社の成熟状況によってKPIが異なる

プラスチックのコンバーターは典型的な装置産業であり、KPIは下記の通り定義出来ると考える。

資産回転率 × 単位当たり利益率 = (期間(年)/ 製造サイクル × 歩留率) × (単位当たり売上高 - 単位当たりコスト)

後者の企業は、すでにオペレーションが完成している模様で、経営者は「回転率とコストカットが大事」とコメントしていたが、まさに製造サイクルの短期化による規模の最大化と、コスト削減による利益確保を目指している。シンプルに上記KPIを追いかけている印象。

一方で、前者の企業は、「日本人技術者による技術指導による品質向上」を当座の目標としており、特に今後輸出を伸ばそうとしている中では差別化という点で意義があるのだが、経営的観点から(特に会計・ファイナンス的観点から)は、少し不十分であるように思えた。会社が置かれている環境・ステージによって違うのだろうし、どちらも間違いとは言えないので、実行状況を見守っていくべきだろう。


こういった、ビジネスモデルやKPIからの分析は、従来のアセットベースな与信判断からするとふんわりしていてSecurityに欠ける気もするのだが、会社の経営状況の分析として、ビジネスモデルのコアを分析して、実情がそれにマッチしているのかを判断するのは、とても大事なのでは、とずっと思っている。

まだまだビジネスモデル分析と言えるレベルではなく、上記のKPIモデル仮説も、まだまだ浅いな、と思う。もっと会社の真の姿に迫れるような、切れ味のいい、それでいて、多面的な分析を出来る様になれば、と思う。


②訪問調査にもっと付加価値をつける必要がある

基本的には与信判断に際して行う訪問調査なので、その判断の根拠となる情報さえ掴めれば良いのだが、今はインドネシア人の性格的優しさで対応してもらっているけれど、向こうにあまりメリットがないように思う。銀行員が訪問時に経済情勢なんかをしゃべって、それなりのことを言ったりするように、もっと日頃から勉強して、話の引き出しを作らなければいけないのでは、とじんわり思った。

特に後者の企業は、かなりしっかりした会社であることもあり、「当然与信枠を増やしてくれるよね」くらいの強気なテンションなので、うがった質問や細かいことが聞きにくい。もちろん、それではダメなのだけど。そういう時に、政治(これはご法度か)や経済、世界情勢の話なんか出来ると、やっぱり総合商社の人はすごいね、また会って話聞きたいね、となるのかなと思う(実際、それぞれの会社に対して、結構弊社のビジネスを説明したり、ロシア・ウクライナ情勢の影響なんかを話したりした)。こういうスモールトークひとつでも、営業力になるのだろうなと、現法社長を見ていて思うし、これから他者を巻き込んで何かをやっていく、その中で「個人の力を持って相手を惹きつけていく」には、こういうのもあながち無視できないのだろうと思う。そういえば、社内のリサーチチームが、定期的にこういう情報を発信していたのを思い出した。今までは来たらポイしてたけど、今度から軽く読んでからポイするようにしようと思う。日経電子版のコピー文句もなんとなく理解できる気がする。

付加価値の付け方は本当に人それぞれで、夜の店の情報とかでもいいんだろけど、ポジジョン的に世界情勢と広範なビジネストレンドとかの方がいいような気がするので、まずはここから頑張ってみようと思う。普段の業務にもいい影響ありそうだし。


与信管理以外の気付きがあった訪問調査でした。

書評 Man of Contradiction

 

前のエントリから少し空いたが、気にしない。

今回はPPKMの開けたジャカルタ紀伊国屋でみつけて手にとった本を書評してみようと思う。

こいつを手にとったのは、Penguin Readersっぽい薄めの本だったから。あとは、仕事でインドネシアの政治経済を追いかける中で、「掴みどころがない」「奥が深い」という疑問があり、これを解消するための鍵を模索している、というのがあったから。

結論から言うと、やはりよくわからなかった。

ジャーナリストが長くJokowiを取材する中で書いた本で、現職の大統領を強く批判することもできないのだろうから、大統領に就任するまでのシンデレラ・ストーリーは結構バラ色に書いてあって、「なんだ、自叙伝と変わらんじゃないか」と思ったのだけど、大統領就任以降の国策の中で揺れ動くJokowiに対しては意外と批判的(特にコロナについては酷評)みたいなところもあって、ちょっと驚いた。

本書にもある通り、ウォッチャーからしてもインドネシアは「単純化」しすぎることによって読み間違えてしまう。とにかく、一言で語れない国なのだろうと思う。貧・富、世俗・保守、華僑・プリブミ、ジャワ・ジャワ以外、イスラム・非イスラムとたくさんの2項対立が同時に存在し、複雑系をなしている。これらの対立の中でJokowiはうまく渡り歩いているが、その中で生じる「理念的矛盾」がウォッチャーを混乱させる。著者いわく、Jokowiには政治哲学がない。読んでいてやはり思ったのが、メガワティやプラボウォのようなバックボーンのないJokowiは、生き残ることでしか生きる道がない、と考えているのでは、ということ。生き残るために盟友Ahokを切り捨てたりと、プラグマティックに行動することが、かえって政治的な対立を抑え、長期政権という安定を手にしているのではないだろうか。当方、どうしても経済的な見方をしがちで、こういう経済的インセンティブによる行動決定を考えてしまうのだけれど、それだけで考えるも危険なんだろう。Jokowiがメガワティと微妙な距離感にあることは知られていて、本来メガワティとは蜜月関係を築くべきなので、こういった点が行動予測を難しくするのだろうと思う。

スタッフと話していても、「選挙にマニフェストはない、人気投票」と言っていて、政党間の合従連衡も激しく、インドネシアは政治局面を読み取るのが難しい。日本や欧米の政治学者がこういった国の民主主義をどう評価するのかが気になるところ。最後にも述べられていたけど、タイやミャンマーの民主主義も時々躓くわけで、できて50年そこらの国ではまだまだ民主主義は未熟なのだろうし、やはり主権を持つ国民が「主権」の意味をきちんと捉えられるようにならないと民主主義は機能しないのかもな、と思った次第。

薄めの本ということで、深堀りが足りないなと感じたのが正直なところ。権力を手にするまでの行動・経歴に真実がある、とするのはとてもいいアイデアだと思うのだけど、アチェ国営企業で働いていたころとか、ガジャマダ大の学生の頃の動きとか、家具屋さん経営しているときのこととか、もっと深堀りしてほしかった。要は、Jokowiの経歴はソロ市長になった際の行動が評価されているわけで、地に足をつけて市内の貧困等の問題を一つ一つ解決していったという、実務家的な側面が評価され、ジャカルタ知事、そして大統領に上り詰めていったもの。そこで疑問となるのが、「なぜJokowiは、他の腐敗した政治家と異なり、実務的な問題解決ができたのか、なぜそうしようと思ったのか」「そもそもなぜ市長に立候補したのか」というのが問いになる。それまでの企業での勤務経験が影響しているのだろうけれど、それが触れられていないのが残念。このあたりは、歴史による更なる分析を待つのだろう。

キャリアに営業経験を足したい。。。

 上記のような記事を見つけた。この人は、MBAの観点からもフォローしているし、多国籍企業GMシンガポールでやっているという点で、とてもロールモデルにしたい人なので、Twitterでもフォローしてよくコメントを読んでいるのだが、こういうのは本当に助かります。

 

過去のエントリでも書いたとおり、当方は現在小さいながらもチームマネジメントが求められる仕事をしているし、チームワークとリーダーシップを発揮すべく頑張っていて、マネジメント経験というところでは、多少なりとも一日の長があるのかな、と自負している。こないだの人事面談は肝を冷やしたけど。

いわゆるファイナンスのど真ん中はやっていなくて、ファイナンス人材と言えないところがキズではあるけれど、リスク管理関連では、あとはコンプライアンスをしっかり入れれば、それなりに仕上がると思う。今回のコロナでBCP対応とかもやったし。アドミ関連も一通りやったから、あとはリーガル関連を強めたいというところは、これからやっていくとして。商社の幅広い業務の中で色々できたのは僥倖だったと思う。

でも、昔から思っていたことだけれど、やはり「営業経験」がないというのが、僕の一番のネックだと思う。上記の内容だと、とてもつぶしが利くのだけれど、やはりキャリアに広がりがないし、いざ上に行こう、行きたいと思ったときに、営業経験がないというのは日系企業に限らずどこでもネガティブに見られるのではないかと思う。

こと商社で働くぶんには、商社マン、ということで他の人から色眼鏡をかけてみられるのもあり、営業でないということはとても居心地が悪い。これは商社に限らないだろうと思うけど、商社はより顕著だと思う。なので、偉くなる人は一時的に営業部内の管理本部長とかに2年ほど行って、執行役員とかになったりしている。営業にもいたんだよ、というエクスキューズを作ろうとしているんだと思う。

商社内での出世はおいておくとして、今営業がやりたいか、というよりかは、将来的にカントリーGMやCXOクラスのポジションを狙っていくために、営業的な経験をつみたいというのが、中国での研修が終わった頃に思ったことだった。いきなりリスク管理の人間を営業部がとってくれるはずもなく、そのためにもMBAにいってキャリアをリセットしたい、と思ったのがMBAを志したきっかけだった。

もちろん、そのタイミングで社内転職も考えた。商社はありがたいことに慢性的に人材不足だから、中国でもお世話になった化学品あたりに混ぜてもらえないか、と思い、上司に相談したこともある。上司が当方をどう評価してくれていたのかはよくわからないけれど、背中も押してもらった。ただ、その時、あまり熱意が持てなかったのだ。一つには、中国からの帰国後に妻の職場復帰サポートを頑張りたかったから。社内転職で営業部にいくと、まぁ大変だろうし、特に中国関連の部署は飲み会もゴルフも大変だから家族サービスは二の次になっちゃうだろう、と思った。もう一つは、営業部自体にあまり魅力を感じきれなかったこと。歳をとってしまったからか、かっこいい、と思う先輩が少ない印象だった。化学品にいることはいたが、それ以外、特に部長クラスは、本当に頭がアルコール漬けなんじゃないかと思うくらいボンクラの人が多く、年功序列、終身雇用、海外店の部長は出世脱落組のポスト、みたいなことを感じてしまって、営業部に異動しても、そういったおじさんたちの対応に苦慮し、楽しく仕事をしているというイメージがもてなかった。現在でも同じような気持ちなので、社内の営業部に移って経験を積む、ということは今でもあまり選択肢としてはあがってこない。

 

前回は研修生だったなかで、今回駐在員としてやってきて、この国の特殊性からかもしれないけれど、営業部は結構大変だと思う。海外店の駐在員は本社の見ていないところで好き勝手できるけれど、なぜかやたら本社から色々要求されるし、現地の管理上、管理部隊からも色々要請されるし、挙げ句には今流行りの横串で、コラボ案件の検討なんかもさせられて、すごいな、って思う。それで週末はゴルフだらけなんだから、本当に体力おばけだと思う。古めかしい商社流の年功序列・タテの強さも、営業部内ではさらに強くて、いや〜これをやっていく自信はないわ、というのが感覚だった。

 

ということで、社外でキャリアに営業経験を足せるような職場を探しています。

でも、営業の担当者が欲しい人が、リスク管理ずっとやってきた人をとることはないだろうな、と採用もやった身で心底思う。やはり、MBAでキャリアをリセットし、グローバル企業のマネジメントプログラムとかに入っていかないといけないのかなぁ。

そもそも、この歳で、営業へのキャリアチェンジって、どうなんだろうか、といったことをモヤモヤ考えさせてもらうよいエントリだったと思います。

海外駐在員の役割って

めいろま氏のツイッターが当方の中で少し話題になっている。

 

彼女の経歴を見ると、欧米の駐在員がやり玉に挙がっているのだろうし、駐在慣れしていたり帰国子女がいたりする弊社商社業界をもってこれを批判するのはたぶん的はずれだろうと思う。

 

思えば、当方も中国研修生時代は、「駐在員って、ホント仕事せんなあ」と思っていたし、それは今でも思っているし、研修生や現地採用の社員と違ってとにかく日本人で群れるので、ローカルの情報なんて一切持っていない。めいろま氏のコメントは、全体化できないにしても概ね当たっていると思う。

商社業界だからかもしれないが、周りを見ていても、日本人ムラとのネットワークが濃厚、というかほとんどそれしかない、という人が多い。駐在しているインドネシアもそうだけど、中国だって、メーカーさんや銀行さんもたくさん出てきていて、その人達とのコネづくりがとても大切なんだというのはまぁわかる。営業部門の駐在員は、ほとんど毎週末社内でのゴルフか日系企業の知り合いとのゴルフだと思う。中国時代は、とにかくそれが嫌で、社内とはつるまず、社外でスカッシュしたり、テニスしたり、ローカルと遊びにいったりと、セカイを広げる事ができたと思う。それが中国を好きになった大きな理由だと思う。インドネシアに数年駐在した人で、「疲れた、インドネシア嫌い」とか言う人いるけど、あれは世界が狭いまま終わっちゃった人であり、基本的に、残念な人、という目で見ることにしている。こんなに広い世界で広い国で色んな人がいる国で、面白くないわけないじゃない、と。

そういう意味も含めて、勉強しない駐在員は本当に多い。英語力もしかり、現地語もしかり、その他ビジネス関連のこともしかり。現地のカルチャーだって、ちょっと足を運べばなんだってわかるのに、家とゴルフ場と日系の居酒屋を行き来するだけで、それで「面白くない」は失礼でしょうよ、と思う。

あと、駐在員はお目付け役にはなれない。基本的にただの落下傘だし、「オペレーションは俺の仕事ではない」というスタンスの方が異常に多いので、細かいところまで目を光らせて不正をつぶす、ということは、駐在員にはできないと思う。コストが高すぎて、細かい実務は割に合わないというのもある。実際、駐在員がたくさんいる中国の拠点でも、不正なんかはやりたい放題だった。そのくせ、最後にはみんな「こんなことまさか起きるとは思わなかった」「常識的に考えればこんなことしないと思っていた」とかいうわけですよ。甘いよね。

 

でも、一つだけ駐在員の仕事として挙げられるとすれば、「会社の代表」として外に出る、ということなんだと思う。これは、学生からすると格好いいし、社内でくすぶる若手からするととても聞こえがいいだろうけど、実際にやってみると結構しんどい。特に大手企業ともなると、交流する相手も結構な身分・年次になるので、やっぱり緊張するし、ときに、本社重役と現地大企業の重役のミーティングをセットしたりするのは、結構しびれるものがある。ここで間違ったら、ビジネス全体が影響を受けるだろうな、と思うと、結構胃がキリキリする。大きな拠点の駐在員は、他の駐在員の見る目もあるから、社内のプレゼンス維持のためにも、社交のゴルフは結構行かなきゃいけなかったりする。結構面倒くさいが、組織なのでしょうがないと思う。

こんな仕事、いばるような仕事じゃないとは思う。お目付け役でもなんでもなく、ただのジャパンデスクじゃないか、と。それはそのとおりで、そんな高級で評価されるような仕事じゃないし、現地社員に対して虚勢を張っていい内容じゃない。こんなことしかしていないから、現地社員に訴えられる、それはまさにそのとおりだと思う。

 

これもまた今度書くけれど、海外駐在というのは、早晩曲がり角に来ると思う。そもそも日本企業自体が曲がり角に来るだろうし、駐在員も淘汰されていくだろうと思う。少なくとも、護送船団方式で大量の駐在員を送り込んで、GM層を抑え、なんちゃって管理をして行くやり方はなくなるだろう。トップか、VPクラスを送り込んで、日本本社とのつなぎ役、もしくは本当にマネジメント力のある人として扱うといった形になるのかもなぁ、なんて思う。

とりとめのない内容でございました。

 

給与に見合った仕事?

新しい上司に「君の給与も僕とそんなに変わらないんだから、給与に見合った仕事しなきゃ」と言われ、まぁもやもやしている。

この新しい上司はかなり気さくないい人で、仕事のスピードも早いし、適度な細かさも持ち合わせているから、結構いいと思っている。上記発言は、給与、というかコスト全体のことを意図した発言で、駐在員ということで、現地の個人所得税や社宅、社有車、ゴルフ会員権を含めると、確かに給与の倍はコストなわけで、どう考えてもコストに見合うはずはない。日系企業駐在員の永遠の課題だろう。ぶっちゃけ一番もやもやしたのは、「流石にあなたとは給与は一緒ではない」というところで、またどこかで書くけれど、当方は現在の給与に非常に不満である。一国の現地法人主管者であるあなたと給与が一緒なはずはありませんww たぶん額面で2倍くらい違うはずですw まぁこういう抜けたことをいうあたりが、この人の可愛らしいところなんだけれど。

 

しかして、この「給与に見合った仕事」というのが、担当者意識の抜けない当方としては、イマイチよくわからない。担当者としては、細部まで詰めるのが責務だし、ミッションが雑用一般なのだから、必然的に細かい、手を動かす仕事になってしまう。

前回のエントリでも書いたけれど、某おっさん社員は当方とは全く逆で、全く手を動かさない。仕事はスタッフに全部任せ、目立つところばかり取りに行く。あとは会食とゴルフ。僕よりも年次・職階が上で、よっぽど給与に見合った仕事をするべき人だけれど、彼の給与に見合った仕事とは何なのだろう。多分会社で30万ドルくらい年間で負担してるわけだけど、これが給与に見合った仕事なのだろうか。矢面に出ること?某金融機関に電話かけまくること?同業他社とひたすらゴルフをすること?彼だから取れる情報は果たしてあるのだろうか?

でもこれは当方にも当てはまる。当方がやっているのは、本当に雑用ばかりで、正直大学生だってできる。社会人の10年の勘があるから、なんとなくメールの相手の気持が読めたり、先が見通せたりするくらいかな。本当は自分で手を動かすんじゃなくて、スタッフにやらせるのがいいんだろうけど、もちろんそれもやるけど、それに馴染まない業務もあるし、スピード感が合わないことが多いから結局やってしまっている。こういうのを移植して、効率化・コスト削減をするのが「給与に見合った仕事」なのかなぁ。

 

こう考えてて、少し話は飛ぶけれど、こういった発想をもってしまった経営陣のある企業で、DXなんて進まないだろうなと思ってしまう。DXはシステム・ITに関する知識が必須だけど、あれは言語なので、実際に手を動かさないと身につかない。身についていないITに関する評論は、英語を話せない人が英語を語るのと同じくらい馬鹿げている。でも、「給与に見合った仕事」をする人は、手を動かさないから、DXに必要なものが大きく欠けることになる。

 

結局当方は担当者として深く突っ込みたいし、知りたい、というのがまずある。誰よりもその事業、案件を知っていたい、プライムの営業じゃないから全部はわからないけど、勘所くらいはしっかり掴みたい、と思うのです。なので、やっぱり細かく気にしたいし、わからないことがあったら自分で手を動かしちゃうと思う。もっとチームを巻き込んで行くことが必要なのかな。

 

「給与に見合った仕事」にはまだまだ遠い気がする。

リーダーシップについて

当地で部長、実は法的には取締役なんてのに就任しています。とはいっても、評価対象の部下は5人だけで、偉いわけでもなんでもありません。ただ、チームとしては、管理部の半分に当たる10名弱と日々濃密なコミュニケーションをとっているし、残りの10名である財務・会計チームとも監査関連で結構深く関わっている。日本人・インドネシア人という立場の違いもあるから、余計に、「リーダーシップ」が求められる。

インドネシア人と働いたことのある人がやはりよく言うのが「指示待ち」。これは、プリブミが長い間被支配階層だったこともあるのだろうと思う。この指示待ち・顔色伺いがあることもあって、強いリーダーシップ、マイクロマネジメントが求められるように錯覚してしまう。

一方で、当方の上司(厳密には、レポーティングラインにないので上司ではない。年上のメンバー)にあたる、財務経理所管の駐在員は、本人がほとんどやる気をなくしていることもあって、全くリーダーシップを発揮しない。いや、見せない、と言うべきか。

協調型で現場主義、最前線で共に戦うリーダーがもとめられる現代にあって、一体どっちが正しいのか、と日々悩まされてしまう。最近のリーダーシップ論、すなわちサーバントリーダーシップからすると、前者を柔らかくして意見を吸い上げる友達のようなリーダーシップが求められるんだろうけど、この国では、意見調整はただの無駄になるように思う。スタッフのレベルの問題なのかな。

とはいえ、後者の、黙って座っていて、とりあえずなんでもハンコを押すタイプの、一見「責任は取ってやる」タイプのリーダーは、結局舐められていて尊敬されないように見える。尊敬されることが目的じゃないけど。あと、「何もしない」ことが良しとされるのは、強い成長軌道に乗っているときの組織だけで、商社のような、成熟期・変革期を迎えている会社は、方向性を整えていく役割がリーダーにはあるような気がして、「何もしなくても特に変わらない」のは、「悪くならないだけじゃなくて、よくもならない」という、現状維持でしかないのかなぁと思うのです。

そんなことを思いながら、動きの遅いスタッフにイライラして、肩に力が入り、肩こりがひどくなっていく日々を送るわけです。