遣唐使の加拉巴(Jakarta)漂流記

と或る日系企業の管理畑で働いている田舎者が、遣唐使として中国に派遣された後、今度は東南アジア・インドネシアに派遣されたお話です。日々気づいたことをレポートします。内容については十分確認をとっていますが、あくまで筆者の主観によるものであり、また、正確さについて担保するものでないことは十分ご承知おきください。

リーダーシップについて

当地で部長、実は法的には取締役なんてのに就任しています。とはいっても、評価対象の部下は5人だけで、偉いわけでもなんでもありません。ただ、チームとしては、管理部の半分に当たる10名弱と日々濃密なコミュニケーションをとっているし、残りの10名である財務・会計チームとも監査関連で結構深く関わっている。日本人・インドネシア人という立場の違いもあるから、余計に、「リーダーシップ」が求められる。

インドネシア人と働いたことのある人がやはりよく言うのが「指示待ち」。これは、プリブミが長い間被支配階層だったこともあるのだろうと思う。この指示待ち・顔色伺いがあることもあって、強いリーダーシップ、マイクロマネジメントが求められるように錯覚してしまう。

一方で、当方の上司(厳密には、レポーティングラインにないので上司ではない。年上のメンバー)にあたる、財務経理所管の駐在員は、本人がほとんどやる気をなくしていることもあって、全くリーダーシップを発揮しない。いや、見せない、と言うべきか。

協調型で現場主義、最前線で共に戦うリーダーがもとめられる現代にあって、一体どっちが正しいのか、と日々悩まされてしまう。最近のリーダーシップ論、すなわちサーバントリーダーシップからすると、前者を柔らかくして意見を吸い上げる友達のようなリーダーシップが求められるんだろうけど、この国では、意見調整はただの無駄になるように思う。スタッフのレベルの問題なのかな。

とはいえ、後者の、黙って座っていて、とりあえずなんでもハンコを押すタイプの、一見「責任は取ってやる」タイプのリーダーは、結局舐められていて尊敬されないように見える。尊敬されることが目的じゃないけど。あと、「何もしない」ことが良しとされるのは、強い成長軌道に乗っているときの組織だけで、商社のような、成熟期・変革期を迎えている会社は、方向性を整えていく役割がリーダーにはあるような気がして、「何もしなくても特に変わらない」のは、「悪くならないだけじゃなくて、よくもならない」という、現状維持でしかないのかなぁと思うのです。

そんなことを思いながら、動きの遅いスタッフにイライラして、肩に力が入り、肩こりがひどくなっていく日々を送るわけです。